ボクシング世界チャンピオン7人-頂点を極めた人の信念

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ボクシングで世界チャンピオンにまで昇りつめた人の言葉には、重みを感じませんか?

それは、ボクシングの試合が、ほとんど同じ体重の選手同士によるパンチのみの戦いというシンプルな競技であるだけに、勝つためには並外れた努力が必要とされるからです。

日本のプロボクシングを統括しているのは、「JBC(日本ボクシングコミッション)」で、世界タイトルマッチをもっとも古くから行っている「WBA(世界ボクシング協会)」と、1963年にWBAから独立した「WBC(世界ボクシング評議会)」に加盟してきました。

JBCは2013年に世界の基準と合わせ、1983に設立された「IBF(国際ボクシング連盟)」と、1988年にWBAから独立した「WBO(世界ボクシング機構)」にも加盟したため、現在は主要4団体と呼ばれる4つの団体で世界チャンピオンが存在します。

それぞれの団体に、男子が、「ミニマム級(47.62キロ以下)」から「ヘビー級(90.72キロ以上)」まで17階級、女子が「アトム級(46.26キロ以下)」から「ヘビー級(79.38キロ以上)」までの17階級があります。

2019年7月現在、日本人の歴代世界チャンピオンは、男子が92名、女子が25名となっていますが、中でも「5階級制覇王者」や「4団体制覇王者」と呼ばれる世界チャンピオンは、こうした複数の階級や団体で王者になるという偉業を成し遂げた人たちなのです。

ここでは、ボクシングという厳しい世界で頂点を極めた人たちが、勝負に賭ける人生で残している言葉を紹介します。
そこには、どんな苦境でも乗り越えていくための、生き方のヒントがあるはずです。

目次

1. 吉田実代 WBO女子世界スーパーフライ級王者のシングルマザー

2. 藤岡奈穂子 男女通じ日本人初の世界5階級制覇王者

3. 井岡一翔 日本人男子初の世界4階級制覇王者

4. 長谷川穂積 5年間王者に君臨して10度の防衛

5. 高山勝成 日本人初の主要4団体制覇王者

6. 内山高志 11回連続防衛の「ノックアウトダイナマイト」

7. 山中慎介 12回連続防衛を果たした「神の左」

まとめ

1. 吉田実代 WBO女子世界スーパーフライ級王者のシングルマザー

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吉田実代(1988.4.12生まれ)

2019年6月19日のWBO女子世界スーパーフライ級王座決定戦で、ケーシー・モートンに勝利した吉田実代選手は、今、日本でもっともフレッシュな世界チャンピオンです。

20歳でハワイに単身格闘技留学をしてキックボクシングをはじめた吉田選手は、総合格闘技やSHOOT BOXINGを経て、2014年にプロボクサーとなりました。
2017年にJBCが新創設した日本女子王座で初代バンタム級チャンピオンとなり、2018年には東洋太平洋バンタム級チャンピオン、そして2019年、念願の世界チャンピオンに。

小学生のときにはソフトボールの日本代表に選ばれたものの、チームになじめなくて非行に走った10代、無心で打ち込めるボクシングという道を見つけてから経験した結婚、出産、離婚という波乱万丈な人生を送ってきた吉田選手は、「逆境を跳ね返す生き方」のヒントとして、「好きこそが最強の人生の武器」「ピュアでいること」「諦めの悪さも時には才能になる」という3つの言葉をあげています。

児童養護施設の慰問や社会復帰活動の支援なども行っている吉田選手は、多くの子どもたちや若者を、「人生は一度きり、悔いなく自分で切り拓け」という言葉で勇気づけています。

 

2. 藤岡奈穂子 男女通じ日本人初の世界5階級制覇王者

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藤岡奈穂子(1975.8.18生まれ)

藤岡奈穂子選手は2009年のプロ転向後、 となり、その後WBC女子世界ミニフライ級王者、WBA女子世界スーパーフライ級王者、WBO女子世界バンタム級王者、WBA女子世界フライ級王者、WBO女子世界ライトフライ級王者に輝き、5階級制覇という偉業を成し遂げました。

藤岡選手のすごいところは、プロに転向したのが33歳のときで、2017年12月に男女を通じて日本人初、女子としてはアマンダ・セラノと並ぶ世界最多タイ記録である5階級制覇を果たしたのは42歳という年齢であるところです。

プロテストには32歳という年齢制限がありましたが、協会は10年間にわたるアマチュア時代の功績を讃えて藤岡選手に1度きりのチャンスを与えたのでした。
家族からは「今さらムリだ」「頼むから普通に働いてくれ」と猛反対されたといいます。

藤岡選手が支援活動などで子どもたちに贈るメッセージは、「夢は口に出すことで、一歩近づくことができる」という言葉。
自分の夢を宣言することで、応援してくれる人たちも現れる。
まず、口にださなければ何もはじまらないということです。

 

3. 井岡一翔 日本人男子初の世界4階級制覇王者

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井岡一翔(1989.3.24生まれ)

史上3人目の高校6冠を達成して東京農大に進学した井岡一翔は、北京オリンピック出場の道が絶たれたことでプロ転向を決心、2009年にプロデビューしました。

2011年、プロ7戦目にしてWBC世界ミニマム級のチャンピオンとなった井岡選手は、試合後のインタビューで4階級制覇を宣言。
さらに2012年6月には、WBA世界ミニマム級チャンピオン八重樫東を破って3度目の防衛に成功するとともに、日本人としてはじめてWBAとWBCの世界王座統一を果たします。

12月にWBA世界ライトフライ級王者となりプロ11戦目で2階級制覇、2015年4月にWBA世界フライ級の王座も獲得して世界最速3階級制覇を果たしましたが、2017年に5度目の防衛をした後、12月に王座を返上して電撃引退を表明。
しかし、7カ月後には復帰を表明し、約1年後の2019年6月にWBO世界スーパーフライ級王者となって、4階級制覇を成し遂げたのです。

試合前、多くを語らなかった井岡選手は、試合後に「もう一度ボクシングをやると言った以上、口だけで終われないので、リングの上で証明するしかなかった」と語っています。
そして今、「自分の名を世界に広めたい」と宣言し、活動の場を海外へと移そうとしています。

 

4. 長谷川穂積 5年間王者に君臨して10度の防衛

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長谷川穂積(1980.12.6生まれ)

2005年にプロ20戦目でWBC世界バンタム級王者となった長谷川穂積選手は、2009年12月の試合で、具志堅用高さん以来、日本人2人目となる同一世界王座連続10度防衛を果たしました。

プロデビュー時は58キロだった体重が、バンタム級王者になってから65キロまで増えたため、防衛戦のたびにバンタム級の規定である53.524kg以下まで落とすには10キロ以上の厳しい減量が必要だったといいます。

11度目の防衛に失敗した長谷川選手は、階級を上げて、2010年WBC世界スーパーフェザー級王者となるも翌年に防衛失敗、引退がささやかれる中で現役続行を表明し、さらにスーパーバンタム級に階級をあげて、2016年9月、なんと5年5カ月ぶりに世界王座に返り咲き、3階級制覇を果たします。

そして12月、長谷川選手はチャンピオンベルトを返上し、引退を表明します。
その理由は、「自分に対して、これ以上証明するものがなくなった」ということと、「闘う理由がなくなった」というものでした。

5. 高山勝成 日本人初の主要4団体制覇王者

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高山勝成(1983.5.12生まれ)

2000年にプロデビューした高山勝成選手は、WBC、WBA、IBF、WBOという主要4団体の世界ミニマム級王者となって、日本人初の4団体制覇を成し遂げました。

2005年にWBC世界ミニマム級王者、2006年にWBA世界ミニマム級暫定王座決定戦に勝利するも防衛には失敗、2009年7月にWBA世界ミニマム級タイトルマッチに敗れると、当時は解禁されていなかったIBFのチャンピオンを目指してJBCに引退届を提出します。

フィリピンのプロモーターと契約した高山選手は、南アフリカやフィリピンで試合を行い、2013年3月にIBF世界ミニマム級王者になると、7月には4団体体制になったJBCに復帰。
2014年12月に、念願のWBO世界ミニマム級王座も獲得したのです。

その後、WBOのベルトを返還してアマチュアに戻り、37歳で出場となる東京オリンピックを目指す高山選手は、放浪のボクサー人生を振り返り、大事にしている3つの言葉があるといいます。

それは、マイク・タイソンからもらった『何があっても、何が起ころうとも、自分を信じなさい』という言葉と、『意志あるところに道は拓ける』『己に勝つ』という3つだそうです。

 

6. 内山高志 11回連続防衛の「ノックアウトダイナマイト」

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内山高志(1979.11.10生まれ)

高校からボクシングをはじめ、社会人アマチュアとして全日本選手権の連覇や国体優勝を果たし、アマチュア4冠を達成するもアテネオリンピック出場を逃した内山高志選手は、2005年にプロデビューします。

2007年9月に東洋太平洋スーパーフェザー級王者になると、2009年10月までに5度の防衛に成功して12月に王座を返上、2010年1月にWBA世界スーパーフェザー級王座を獲得しました。

その後、2015年12月まで、日本人歴代三位となる11回の防衛に成功し、2014年12月には日本人初のスーパー王座を認定されています。
内山選手の試合は、KO勝ちとTKO勝ちがほとんどで、日本人世界チャンピオンの歴代KO率一位として、「ノックアウトダイナマイト」と呼ばれました。

2018年に引退した内山選手が今でも大事にしている言葉は、高校時代のボクシング部の部訓であった「恐れず、驕らず、侮らず(おそれず、おごらず、あなどらず)」という言葉だといいます。

そしてもうひとつ、「継続は力なり」。
やり続けたことは必ず自信になるといっています。

 

7. 山中慎介 12回連続防衛を果たした「神の左」

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山中慎介(1982.10.11生まれ)

辰吉丈一郎に憧れて高校生からボクシングをはじめた山中慎介選手は、専修大学のボクシング部主将を務め、卒業後はボクシングから離れるつもりでいましたが、最後の国体における成績が不本意なものであったことに奮起し、2006年にプロデビューしました。

2011年11月にWBC世界バンタム級王者となった山中選手は、2017年3月まで、日本人第二位となる12回の防衛を達成します。

連打でなければ勝つのは難しい時代になったといわれる中で、山中選手のファイトスタイルは、ボクシングにおいて基本とされるワンツーパンチを極めたシンプルなもので、「ワンツーだけで王者になった男」といわれました。
サウスポーなので、右のジャブに続けて打つ左のストレートが「神の左」と呼ばれたのです。

2018年3月に引退した山中選手は、最後の試合で負けたときに、「あなたにとって神と呼ばれた左は何だったのですか?」という質問に対して、「最後まで一番頼りにしていた、一番の武器だった。(この試合では)不発に終わったが、何年経っても『パパの左は強かったんだ』と、子ども達に言えるパンチだった」と答えています。

それは、徹底的に極めたものに対する自信の言葉でした。

 

まとめ

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ボクシングの世界チャンピオンに共通するのは、どんなときでも自分を信じて、プラスの発想ができることだといえそうですね。

自分で決めた明確な目的のためだったら、乗り越えられないことはない。
自分が納得できるところまでやったことは、かならず自信となって成功につながる。
壁を乗り越える苦労のことは考えず、壁の向こうへ行って自分を喜ばすことしか考えていないのです。

多くのチャンピオンが乗り越える減量苦も、勝つためだからできるのですね。

なお、こちらの記事でご紹介いたしましたWBO女子世界スーパーフライ級チャンピオン吉田実代選手のアドバイスをもっとお聞きになりたい方は、フォレスタのアプリコンテンツもぜひチェックしてみてください。

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女子ボクシングチャンピオンの減量法

 

【参考資料】
・『別冊宝島2054号 ボクシング現役世界チャンピオン「孤高の軌跡」』 宝島社 2013年
・『ボクシング日和』 角田光代 著  角川春樹事務所 2018年
Q&A Sports Interview 
JBC

2019.7.16 佐藤美昭

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