著名人の名言18選-人生を楽しむヒント

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shutterstock_366829661名言や格言は勉強にはなっても、リアリティに欠けませんか?
歴史的偉人や哲学者の有名な言葉は、いざ自分が人生の岐路に立ったときや、うまくいかないとき、落ち込んだときなどには、現実とかけはなれてしまっていることが多いものです。

人生とは何か?
どのような人生観をもって生きればよいのか?

そうした哲学的なことよりも、もっと現実的な言葉がほしいと思うものです。
宗教家や哲学者の金言ではなくて、身近に思える人物が身をもって感じた言葉のほうが、ヒントになることが多いはずです。

最近のSNSでは、自分で撮った写真などに短文を重ねた、人生画像や名言画像などという画像が流行っていますね。
自分と同じような境遇にある人の言葉には、みなリアリティを感じるからでしょう。

ここでは、作家、漫画家、アスリート、学者など、現代の著名人18人が残している言葉から、人生を楽しむヒントになりそうなフレーズを集めてみました。
テレビでよく見かける人が多いので、彼らの人生を背景にして味わってみてください。

 

目次

人生を楽しむための名言18選

① 夏目漱石
② 手塚治虫
③ 長谷川町子
④ 金栗四三
⑤ 日野原重明
⑥ 山本寛斎
⑦ 帯津良一
⑧ 姜尚中
⑨ 山本一力
⑩ 柳田邦夫
⑪ なだいなだ
⑫ 鎌田實
⑬ 加山雄三
⑭ 湯川れい子
⑮ 夢枕獏
⑯ 弘兼憲史
⑰ ちばてつや
⑱ 水木しげる

まとめ

人生を楽しむための名言20選

① 夏目漱石

(1867.2.9-1916.12.9)

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「ただ、牛のように、図々しく進んで行くのが大事です」

今回取り上げる人物の中で、大正5年に亡くなった夏目漱石さんはもっとも遠い存在かもしれません。
しかし、明治時代に西洋文化と触れた日本人の中で、現代に通じる感性をもっていた数少ない人物なので取り上げました。

この言葉は、芥川龍之介の師であった漱石が亡くなる年に、芥川へ送った手紙に記されていたもので、「どうぞ偉くなってください。ただし、無闇にあせってはいけません」から続きます。

人間はとかく馬のような俊足でいたいと思うものですが、黙々と歩む牛になることのほうが必要だという例えです。

② 手塚治虫

(1928.11.3-1989.2.9)

「僕の体験から言えることは、好きなことで、絶対にあきないものをひとつ、続けて欲しいということです」

2019年に没後30年を迎えた漫画の神様、手塚治虫さんは、1946年に漫画家としてデビューし、日本の漫画界及びアニメ界の先頭に立って発展に尽くし、多くの子どもたちに夢と希望を与えました。

いじめられっ子であった手塚少年は、いじめられないために特殊技能を身につけようと思ったのだといいます。
それが漫画を描くことでした。
「漫画なんぞバカバカしい」といわれる時代に、親が支持してくれ、学校の先生も応援したのは、手塚少年の漫画にかける情熱が並大抵のものではなかったからです。

趣味でも仕事でも何かひとつ、これさえあれば(やれれば)時間が経つのも忘れて没頭できる物事。
それは人生を豊かなものにするマストアイテムです。

③ 長谷川町子

(1920.1.30-1992.5.27)

「毎日笑ってもらいたい」

4コマ漫画をベースとした長寿アニメ『サザエさん』の作家として知られる長谷川町子さんは、日本初の女性漫画家として昭和10年代から活動を続け、1982年に紫綬褒章を受章しました。

その際、漫画を描くときに何を考えているかという質問に対し、答えたのがこの言葉。
スパイ疑惑をかけられたり、米軍機の機銃掃射から逃れたりした戦中の体験は、人間が笑顔になることの大切さを痛感させるものだったのです。

近年、脳科学や心理学など多方面で笑顔の効能が認められ、口角を上げるだけの「つくり笑顔」でも、顔の筋肉の動きを脳が察して幸福感を得ることができるとわかりました。
笑顔で生きることは、ただそれだけで人生を楽しくするパワーをもっているのです。

④ 金栗四三

(1891.8.20-1983.11.13)

「長い道中でした。その間に孫が5人生まれました」

2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」でスポットライトを浴びた金栗四三さんは、日本人初のオリンピック選手として、1912年の第5回ストックホルム大会に出場したマラソン選手です。

しかし、船とシベリア鉄道で北欧まで行く過酷なスケジュールや、太陽が沈まない白夜、40度にもなる気温のため、レース中に日射病となって気を失い、近所の農家で介抱されて目を覚ましたのは翌日のこと。
参加選手の約半数が棄権、死者も出るという大変なレースでした。

金栗さんは棄権の意思を示しましたが、オリンピック委員会に伝わっておらず、行方不明という記録を残したまま帰国しました。

その後、金栗さんは2度のオリンピックに参加、日本マラソンの父として活躍し、箱根駅伝の開催にも尽力します。

1967年に、ストックホルムオリンピック開催55周年記念式典が開催され、委員会は金栗さんを招待し、ゆっくりトラックを1周してからゴールさせたのです。
「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム、54年と8ヶ月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされました。

このとき、ゴール後のスピーチで金栗さんがこう語ったのです。
人生は長い道中だと考えれば、寄り道も失敗もすべて自分が生きてきた証。
少々道を外れることがあっても、いいではありませんか。

⑤ 日野原重明

(1911.10.4-2017.7.18)

「鳥は飛び方を変えることはできない。動物は這い方、走り方を変えることはできない。しかし、人間は生き方を変えることができる。」

聖路加国際病院名誉院長として知られる日野原重明さんは、2017年に105歳の人生を全うされました。

日野原さんは1970年に58歳で、「よど号ハイジャック事件」に遭遇します。
赤軍派がダイナマイトを機内に持ち込んでいた状況から生還し、宇宙飛行士が月から地球に帰ってきたのと同じような感動を抱き、それからは全力で生きようと思ったといいます。

それから生きるテーマとなったのは、「創(はじ)める」ということでした。
人間は何歳になっても創めることができるのです。

この言葉は、人間には選択の自由があって、いつでも思い立ったときから生き方を変えることができるというメッセージです。

⑥ 山本寛斎

(1944.2.8~)

「もう1回 あと1回」

ファッションデザイナー、イベントプロデューサーとして世界的な活躍をしてきた山本寛斎さんは、「年相応」という発想に大反対をしてきました。

60歳を過ぎたからとか、70歳になったからといって、何かをするのが恥ずかしい、もうチャレンジするのはムリだろうなどと考えるのは、年齢のせいにして楽になっているだけだといいます。

老化現象は誰にでも起こるものですが、そこでムリをするのではなく、できることを1回ずつ積み重ねていく、その1日1回、1年で365回の積み重ねが、大きな前進になるのです。

苦しい状況の中でも、まず1歩を踏み出すことができれば、1歩踏み出せたのだから、あと1歩踏み出してみようという勇気がわいてくるはずです。

⑦ 帯津良一

(1936.2.17~)

「健康に悪いことでも大丈夫。心にトキメキがあれば、毎日楽しく生きていける。」

ホメオパシーという代替医療の第一人者として、西洋医学に東洋的な思想や中国医学を取り入れてがん患者などの治療にあたる帯津良一さんは、多くの著書で自然治癒力について解説しています。

ホメオパシーとは、不安を和らげて前向きな気持ちになることにより、自分の中にある生命エネルギーを高める医療です。

米津さんは、朝の気功と夜のお酒が重要な養生になっているといいます。
乱暴な飲み方をしなければ、別に休肝日を設けず毎日お酒を飲んでもいいし、かえって規則正しく肝臓を働かせているほうがいいのではないかとさえ、いいます。

大事なことは、1日1日を少しでも楽しく生きること。
それが、不安をやわらげて、命のエネルギーを高めることにつながるのです。

⑧ 姜尚中(かんさんじゅん)

(1950.8.12~)

「悩み老いて最強たれ」

東京大学名誉教授であり、政治学者としてテレビ出演の多い姜尚中さんは、「悩む」ことについて何冊も著作があります。

若い頃には、歳をとったら悩まなくなるものだと思っていたのに、60歳を超えても悩みの海を泳ぎ続けている。
そこで気づいたのは、悩むことがいかに人を成長させ、強くするかということでした。

現代の社会は「悩み」をマイナスとしてとらえますが、実は、悩まないことは怖いのだということに気づく必要があります。
悩んで老いてこそ、人は最強になれるのです。
この言葉は、そう信じて、人生を謳歌しましょうというメッセージです。

⑨ 山本一力

(1948.2.18~)

「明日は味方」

プランナーやコピーライターを経て、49歳で小説を発表し、2002年に『あかね空』で直木賞を受賞した山本一力さんは、「明日は常に自分の味方」だと考えれば、人生どんな状況でも生きていけるといいます。

明日を敵に回すか味方につけるかで、人生はまったく違うものになる。
「明日は味方」と思えるようになるためには、日々一生懸命生きることと、マイナスの状況に置かれたときも、その原因を人のせいにしないで自分にあると考えることが大事だと語っています。

⑩ 柳田邦夫

(1936.6.9~)

「はじまりの記憶」

ノンフィクション作家や評論家として多くの著作がある柳田邦夫さんは、幼少時の記憶である「はじまりの記憶」を大切にすべきだと語っています。

「はじまりの記憶」は、他人の思いが及ばないほど広くて深い人生の背景となっていて、豊かな人生を送るためにとても大事な要素です。

何歳になっても自分の中の「少年」「少女」を殺さないで大事にすること、人生の後半にこそ、少年時代に描いた夢を日常生活の中に生かすことで、人間にとって大事なものを発見できるはずだといいます。

⑪ なだいなだ

(1929.6.8-2013.6.6)

「とりあえず」

精神科医、作家として数々の著作を残した「なだいなだ」さんは、患者を治療することで自分の生き方や考え方を見直したといいます。

神経症にかかりやすい人は、何事にも完璧を求める人が多いのですが、物事はすべてがシロクロはっきりするわけではありませんし、どこまで考えても答えが出ないことのほうが多いのです。

自分も若い頃は、生きるとは何か、人生とは何か、死とは何かといった哲学的なことを考えたが、そのうちに「答えがみつからない」ことが答えだとわかったといいます。
生きてみなければ、「人生とは何か」ということはわかりません。

明日のことは明日になってみなければわからないのですから、「とりあえず」今日を生きてみることにする。
それが「人間らしい生き方」なのではないかという意味の言葉です。

⑫ 鎌田實

(1948.6.28~)

「がんばらない」

「住民とともに作る地域医療」や国際医療支援活動に取り組んできた、医師で作家の鎌田寛さんは、50歳をすぎてから、「がんばらない」ことで見えてくる世界に気がついたといいます。

これは、がん患者に教えられた考え方で、「がんばらない」は努力しないということではなく、「がんばらないけどあきらめない」という明日への希望となる言葉です。

「ただがんばるだけの生き方はもう終わりにして、自分の気持ちに素直に生きよう」
鎌田さんはそう考えるようになって、自分が本当にやりたかったことに気づき、自分の居場所がわかったといいます。

⑬ 加山雄三

(1937.4.11~)

「愛 ありがとう」

若大将こと加山雄三さんは俳優としてもミュージシャンとしても成功されましたが、その人生は、けっして順風満帆なものではありませんでした。
最大の危機は、33歳のときに叔父が経営していたホテルが倒産し、最終的に23億円もの負債を背負ったときです。

自暴自棄になって自殺まで考えたという加山さんのどん底を救ったのは、奥さんの愛だったといいます。

性格の不一致で離婚する夫婦が多いのですが、性格なんて一致していないのが当たり前のことで、互いに違った存在だからこそ歩み寄ることが大事なのではないでしょうか。

そして、歩み寄るために大切なことが「愛」。
加山さんは、根底に愛があれば、人生におけるたいがいの問題は解決できると語っています。

⑭ 湯川れい子

(1936.1.22~)

「道を楽しむ」

音楽評論家、作詞家として1960年代から活躍されてきた湯川れい子さんは、60歳をすぎてから人生が楽しくなったといいます。

自分の場合は、たまたま音楽であったが、人間は何かひとつのことを夢中でつきつめていけば、そのことを通して世の中を見通すことができるはず。

人間にできて動物にできないことは、「夢を見ること」「想像すること」「笑うこと」です。
自分の道を考えてみて、夢を追いかけ、笑って生きることが大事。

この言葉は、「道を極める」ことも大事なことですが、もっと力をぬいて微笑みをつくり、「道を楽しむ」ことで人生を豊かなものにしませんか、というメッセージです。

⑮ 夢枕獏

(1951.1.1~)

「遊ぶように生きる」

作家の夢枕獏さんの年間スケジュールは、釣りや格闘技観戦などの趣味からうまっていくといいます。

作家や漫画家には、好きなことを仕事にしている人が多いので、仕事とプライベートの境目がなくなり、趣味すら義務になってしまうようなケースもあります。
しかし、夢枕獏さんの場合は、その境目がなくなっても、どちらも好きなことなのでストレスになることがないといいます。

人生、どんなときでも遊び心が必要であり、「倒れるまで仕事、起き上がれなくなるまで遊ぶ」が目標だと語っています。

⑯ 弘兼憲史

(1947.9.9~)

「一度きりの人生、楽しまなければもったいない」

島耕作シリーズや『黄昏流星群』で知られる漫画家の弘兼憲史さんも、漫画を描くことが何より楽しくて描いているので、どんなに忙しくても、仕事でストレスを抱えることがないといいます。

達成感や充実感を生む適度なストレスは人生に必要なものですが、余計なストレスを減らすことは人生を豊かなものとするために必要なことです。

ところが、五感で受けた刺激に対する脳の反応であるストレスは、自分の意思とは関係なく降り注ぐものですから、なくすことや消すことはできません。
消そう、忘れようと考えると、ストレスを思い出すことになるので逆効果なのです。

ストレスを軽減したかったら、楽しい思いや気持ちよいことをして没頭するしかありません。
弘兼さんが提言する生き方は、目の前の現実をすべて受け入れて、どんなところにも楽しさを見出す生き方。

毎日歩く道を少し変えるだけでも、見えるものが変わり、発見があるもの。
考え方ひとつ変えるだけで、「楽しむ」という判断基準で生きることができるのです。

⑰ ちばてつや

(1939.1.11~)

「一日一生」

『あしたのジョー』の作画で知られる「ちばてつや」さんは、20代30代を通して締め切りに追われ、まともに寝る時間もない人生を過ごしていたといいます。

当時、好きだった言葉は「一所懸命」でした。
漫画を描くときはもちろん、食事のときもお風呂に入るときも、ひとつの所に懸命になる。

一所懸命に生きようと思うと、その日その日を完全燃焼したいと思うようになり、それがどこか漫画の中のジョーと重なっていたのでした。

70歳が近づいた頃からは、朝、生まれたての赤ん坊のような気もちで目を覚まし、昼間の壮年期は仕事に集中して、夕方が近づいてくると人生のピークを過ぎ、夜、人生が終わるという感覚で、一日一日を過ごしているといいます。

それが、「一日一生」という言葉を好きになった理由だそうです。

⑱ 水木しげる

(1922.3.8-2015.11.30)

「なまけ者になりなさい」

『ゲゲゲの鬼太郎』を生み出し、日本の妖怪文化を世界へと広めた水木しげるさんは、戦争で左腕を失いながらも、亡くなるまで漫画を描き続けたことで知られます。

水木さんは、自分のペースを守って生きていれば、どんな人にもほどほどの幸せが与えられるようになっているものなのに、自分の中で幸福のイメージを膨らませて努力することが、不幸のはじまりなのだといっています。

「金言、格言なんて守ろうが破ろうが、人生が幸か不幸かという差はほとんどない」とは、80歳を超えてからの言葉。
「なまけ者になりなさい」は、一度、肩の力をぬいてなまけてみれば、自分の好きなことが見えて、自分が幸せな存在であることに気づくことができるというメッセージです。

 

まとめ

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言葉には、単なる表現や伝達の手段ということ以外に、心を和らげたり、生きる希望を与えたりする力があります。

「名言」は、英語で“famous quote”や“powerful quote”と表されますが、まさに、人にパワーを与える言葉として、残されているものなのです。

ここではそうした言葉の中から、身近に感じることができる人物のものを集めてみました。
言葉から元気をもらえて少しでも人生が楽しいと感じられたら、今度はあなた自身の言葉を誰かのために残してみませんか?

 

 

【参考資料】
・『名言がいっぱい あなたを元気にする56の言葉』 出久根達郎 著 清流出版 2013年
・『言葉の力』 PHP研究所 編集  PHP研究所 2012年

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