寂しい気持ちをパワーにした3人の生き方-その生い立ちと足跡

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寂しい気持ちが続くことほど、つらいものはありませんよね?

寂しい気持ちとは、孤独感と言い換えることができます。
英語では「lonely」や「lonesome」が使われます。

ですが、日本語は複雑。
「寂しい」という言葉には、ほかに「心が満たされていない状態」という意味もあります。
孤独ではなくても、寂しいときがあるのです。
英語では「unsatisfied」ということになるのでしょうか。

韓国語でも孤独で寂しいことを「ウェロプタ」、心が満たされない寂しさ「ウウラダ」というように言い分けます。

ですから日本人が「寂しい」と感じているときは、孤独感から生まれる「つながりたい」「愛されたい」「認められたい」などという感情をクリアしても、心が満たされずに寂しさを解消できないことが多いのです。

インターネットや通信メディアがこれほど普及したのに、かつてないほど「寂しい人」が多い現代。
寂しさをどう扱い、どう付き合って生きるかということを考えなければいけない時代なのです。

作家の中森明夫氏は、寂しさこそ人間のもっとも強い力だと提言し、有名人や芸能人には寂しさから逃れられない人生を送った人が多いと言っています。
ここでは、寂しさを力にして生きた歴史上の有名人3人の生い立ちと足跡を簡単に紹介します。
どこかに、あなたが寂しさと付き合うヒントがあるのではないでしょうか。


目次

1. ウォルト・ディズニー(ディズニー創設者)
1-1. 虐待された子ども時代
1-2. 子どものときに夢見た楽園

2. アドルフ・ヒトラー(独裁者)
2-1. 挫折から浮浪者へ
2-2. 孤独な独裁者

3. スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)
3-1. 親に捨てられた子ども
3-2. 冷酷で激しい気性

まとめ

1. ウォルト・ディズニー(ディズニー創設者)

東京ディズニーリゾートは、1983年の開園以来、日本人だけでなく海外からのshutterstock_1137665201観光客からも高い人気を得ているテーマパークです。

カリフォルニアのディズニーランドと、フロリダのディズニーワールドまで行かなければ体験できなかった「大人も楽しめる遊園地型テーマパーク」を、日本にいながら体験できるようになり、ミッキーマウスやドナルドダックをはじめとするディズニーのキャラクターたちも身近なものとなりました。

ディズニーランドはもちろん、ミッキーマウスやドナルドダック、白雪姫など誰もが知っている数々のアニメキャラクターを生み出したのが、ウォルト・ディズニーです。

今や日本のコミックやアニメーションは、世界に誇る文化となりましたが、そうした文化をつくってきた手塚治虫さんをはじめとする多くの漫画家、また、宮崎駿さんをはじめとするアニメーターと呼ばれる人たちの誰もが憧れ、目指してきた対象がウォルト・ディズニーのつくった世界なのです。

ウォルト・ディズニーの名は誰もが知っていても、その生い立ちやディズニーランドを創設した経緯を知っている人は、あまりいません。
そこには、逃れられない寂しさを力に変えたストーリーがあるのです。

1-1. 虐待された子ども時代

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ウォルト・ディズニーは1901年にイリノイ州シカゴで生まれました。
カナダ生まれのアイルランド系移民であった父親は、ユニオン・パシフィック鉄道の鉄道員で、4人目の子どもがウォルトでした。

ウォルトがまだ幼いときに、一家は叔父が住むミズーリ州に引っ越して農業をはじめ、父親は4人の息子たちに過酷な労働を強制します。
父親が、愛情に欠けた厳格な態度で子どもたちを働かせたため、3人の兄たちは次々と家から逃げ出してしまい、幼いウォルトだけが残されて厳しい労働に明け暮れたのです。

農業の手伝いだけでは収まらず、ウォルトは9歳のときにもう新聞配達をしていました。
夜明け前に起きて新聞配達を済ませてから学校へ行き、午後は早退して夕刊の配達をします。
さらに、食料品の仕入れやアイスクリーム売りなどのアルバイトをさせられ、稼いだカネはすべて父親が没収するのでした。

父親の蛮行は強制労働だけにあらず、機嫌を損ねると地下室へウォルトを連れて行き、激しくムチ打つのです。
ウォルトは、今でいえば「児童虐待」の被害者だったわけです。

働きづくめで遊ぶ時間などなかった子ども時代、動物や自然などの絵を描くことが唯一の楽しみだったといいます。

1-2. 子どものときに夢見た楽園

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晩年のウォルト・ディズニーは、「子どもの自分に欲しいと思っていながら、手に入れることができなかったものすべてをディズニーランドに盛り込んだ」と語っています。

誰もが夢の楽園と感じるディズニーランドは、不幸で寂しい子どもが見た夢を実現したものだったのです。

職を転々としてきた父親は農業にも失敗し、シカゴで工場経営に携わることになったので、一家はシカゴに戻り、青年になっていたウォルトは地元の高校に通いながら美術大学の夜間部にも通って絵を学びました。

第一次世界大戦に赤十字の衛生兵として従事したのち、帰国したウォルトは家を出てカンザスシティーに行き、漫画家を目指します。
1920年からはじめたアニメーションの仕事は、成功と挫折の繰り返しでした。
1928年にミッキーマウスが登場するアニメーション第一作を世に送り出し、1937年には史上初の長編アニメーション映画『白雪姫』が成功を収めます。

生涯同じ仕事を追求する漫画家やアニメーターが多い中で、ウォルト・ディズニーは違いました。
アニメーションで成功を収めると、子どもの頃に欲しかった鉄道模型一式を手に入れ、大人でも楽しめるテーマパークの設計に夢中になったといいます。

そして、1955年にディズニーランドが開園。
抑圧された子ども時代のたったひとつの楽しみであった絵を動かしたくてアニメーションという世界を開拓し、次いで3Dで体験できる空間を壮大な規模でつくり出したのです。
実は、ウォルト・ディズニーの創造はこれだけで収まらず、「完全なる都市」を実現することに挑んでいたといいます。

その夢は未完のまま、65歳でこの世を去りました。
子ども時代の寂しさを創造のエネルギーに変換し続けた人生だったのです。

2. アドルフ・ヒトラー(独裁者)

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アドルフ・ヒトラーといえば、ナチスの総統として独裁者となり、ヨーロッパ諸国を侵略して第二次世界大戦を引き起こした政治家として知らない人はいません。

ユダヤ人を虐待し、おぞましい強制収容所で大量虐殺を行った指導者にして、20世紀最悪の戦争犯罪者とされます。

ヒトラーの人生を分析した本は、世界中でたくさん出版されています。
それは、ヒトラー家の出自や、アドルフの父アロイスの人生に謎が多いこともありますが、「狂気」「蛮行」と称されるナチスの戦歴や犯行を形成したアドルフ・ヒトラーの人間性や人生観が、いかにしてつちかわれたものかという点に興味がもたれたからです。

評論家の小林秀雄さんは、代表作『考えるヒント』の中で、ヒトラーを「邪悪な天才」と称しています。
20世紀最悪の独裁者が、天才的な頭脳と驚異的なパワーをもっていたことは間違いありません。

その天才的な頭脳を形成し、パワーの源となったのが「寂しさ」だったと考えられているのです。

2-1. 挫折から浮浪者へ

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アドルフ・ヒトラーは、ドイツとの国境にあるオーストリアの都市ブラウナウで、1889年に生まれました。

父親のアロイスは無学歴でしたが、税務上級事務官まで異例の出世をした人物で、生涯に多くの女性と関係をもっており、アドルフの姉も兄も母親が違いました。
メイドから愛人となったクララが3人目の妻となり、ヒトラーを生んだのです。

ヒトラーが7歳のときに異父兄が家出をしたので、ヒトラーが跡継ぎになると、隠居生活に入っていた厳格な父親は一層厳しくあたるようになって、ことあるごとにムチ打って折檻したといいます。

ヒトラーは父への憎悪もあって成績を落とし、中学1年生で留年、13歳で父親が亡くなった後も問題行動を続け、結局、満足に卒業したのは小学校だけでした。
18歳になるとヒトラーは画家を夢見てウィーンへと旅立ちます。
しかし、ことごとく試験は不合格、失意の中で母親も亡くなります。

1909年に再びウィーンへと出たヒトラーはまたしても美術学校の試験に落ち、家も親もなく孤独のまま浮浪者となって、翌年から3年間、浮浪者収容施設で過ごしたのです。
これは兵役逃れのためと考えられていますが、ヒトラーは後にこの時期がもっとも不幸であったと語っており、その後の人間性や持論が形成された時期でもあったのです。

2-2. 孤独な独裁者

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ヒトラーの手記である『我が闘争』には、「ウィーンは、私にはつらい道場であったが、これまでの人生においてもっとも深刻な教訓を与えてくれた」と書かれています。

また、「非常に孤独な時期であった」とも書かれています。
10代で両親を亡くしたヒトラーは、愛人をつくりましたが妻も子もつくらず、心を許せる仲間も部下もいない生涯を過ごしました。

ヒトラーは、第二次世界大戦敗戦間近の1945年4月30日にピストル自殺を遂げるまで、孤独だったのです。

第二次世界大戦のヨーロッパ戦線を分析すると、ナチスドイツには優秀な軍人がとても多かったことがわかります。
しかし、側近とされた部下を含め戦線で活躍していた幹部たちは、冷静な判断から発言をして、ことごとく中枢から遠ざけられていきました。

「この闘争にあって、強い方、有能なものの方が勝ち、無能な弱い方が負けるのだ。闘争は万物の父でもある」というヒトラーの行動原理は、ウィーンにいた4年間に形成されたものと考えられています。

第一次世界大戦では陸軍に志願して従軍し、敗戦後は政治家を目指します。
権力を握るためには手段を選ばず、数少ない友人さえ殺しました。
その行動原理は、やがて、ユダヤ民族の大量虐殺へと向かうのです。

根源にあったのは、強大な憎悪のエネルギーであり、核となっていたのが寂しさでした。
ヒトラーの場合は寂しさが憎悪を生み、巨悪をつくりだした例ですが、寂しさが力になるとこれほど大きなものになりえるということではないでしょうか。

3. スティーブ・ジョブズ(アップル創業者)

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スティーブ・ジョブズは、言わずと知れたアップルの共同設立者のひとりで、20世紀後半のアメリカに生まれたカリスマ経営者です。

10代後半でLSDやヒッピーカルチャーに傾倒し、20歳のときにスティーブ・ウォズニアックとともに自宅でマイクロコンピューター「Apple Ⅰ」を開発、その後に開発販売した「Apple Ⅱ」が成功します。

アップル社は急成長、ジョブズは25歳にしてフォーブズの長者番付に名を連ねますが、5年後の1985年にアップルを退社しました。
ジョブズが独断専行で開発した画期的なパソコン「Macintosh」が過剰在庫となった責任を問われたのです。

アップルを追われたジョブズは、決算書を受け取る目的でアップルの株を1株だけ残して売却し、700万ドルを投資してNeXT社を設立します。
ワークステーションやOSの開発で成功すると、ルーカスフィルムのアニメーション部門を買収してピクサー・アニメーション・スタジオを設立、1995年にウォルト・ディズニー・ピクチャーズとの共同制作で、3DCG長編アニメ『トイ・ストーリー』を世に送り出しました。

時折しもアップル社はOS開発で行き詰まり、アウトソーシングを検討していました。
この機にアップル社へ復帰したジョブズは1997年にCEOに就任、その後は「iPod」「iPhone」「iPad」と大ヒット商品を連発し、ラフなスタイルで行うプレゼンテーションで自身が広告塔となり、世界を圧巻したのです。

2011年10月に56歳の人生を閉じたとき、世界中のジョブズ信者ともいえるファンがその死を悲しみました。
時のオバマ大統領は、「スティーブは、アメリカが誇るイノベーターの1人だった」と忌辞を捧げています。

スティーブ・ジョブズは、単なる一企業の経営者ではなく、アメリカが生んだスーパースターとなりました。
しかし、その一方で、彼のことを激しく非難する人も多いのです。
この歪みは、寂しさから生まれたパワーが強烈すぎたためだったと考えられています。

3-1. 親に捨てられた子ども

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スティーブ・ジョブズは、1995年に、シリアからの留学生であった父親とアメリカ人の大学院生であった母親の間に生まれました。

ところが、母親側の父が結婚を認めなかったことから、未婚の母の子として生まれる前に、養子に出されることが決まっていたのです。

子どものいない夫婦に引き取られたスティーブは、大学は出ていなくてもエンジニアだった養父の仕事場で幼い頃から機械に触れて育ち、自宅があったのは後にシリコンバレーと呼ばれるサンフランシスコ南部の町でした。

実母は、養父が大学を出ていないことから養子縁組に反対しましたが、ジョブズを大学に行かせるという約束で養子を決めたといいます。

この環境と、血はつながっていなくても愛されて育ったことが、ジョブズの伝説的な人生につながるのです。
実の親に捨てられ、育ての親に愛されたという両極が、分裂した性格を生んだと、彼の伝記には書かれています。

スティーブ・ジョブズが実母と会うのは、養母が亡くなった1986年、30歳を過ぎてからでした。
実父とは、死ぬまで一度も会おうとしなかったといいます。

3-2. 冷酷で激しい気性

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スティーブ・ジョブズは、エキセントリックな言動で周囲を振り回し、世間を驚かせたことが何度もありました。

死期が迫ったインタビューでは、妻や子のことを想って泣きまくりました。
しかし彼が送った成功とされる人生は、妊娠させた恋人を捨て、生まれた子どもの認知もせず、仕事では自分の意思を通すためだったらかつての仲間を追い込んで冷酷に切り捨て、罵声を浴びせる人生だったのです。

感情の振幅の激しさは、「信者」を増やすと同時に、多くの敵をつくりました。
愛情に包まれて育っても、実の親に捨てられたという寂しさから逃れられず、「つながりたい」という満たされない感情が、画期的な情報通信機器を生むエネルギーになったと考えられています。

スティーブ・ジョブズは、ウォルト・ディズニーをリスペクトしていたといいますが、それも寂しい子ども時代を送ったことへの共感だったのではないかと考えられるのです。

2006年にディズニーがピクサー・アニメーション・スタジオを買収し、同社はディズニーの完全子会社となり、ジョブズ自身も、ディズニーの個人筆頭株主になると同時に、ディズニーの役員に就任しています。

まとめ

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寂しい時間は誰にでもあるもの。
人間同士の接触が希薄になったネット社会では、温もりに飢えて「つながりたい」「愛されたい」「認められたい」と感じている人がとても多いのです。

ここで紹介した3人の人生は、とても極端な例だといえます。
誰もが参考にできるような大衆性はありません。
しかし、容易には見ることができない極端な例だからこそ、貴重なヒントが隠されているはずなのです。

寂しい感情とどう付き合って生きていくか、どうしたら寂しさを癒せるか、今一度考えてみませんか?

最後に雑学をひとつ。
よく、「寂しい」「淋しい」「さびしい」「さみしい」という類語の使い分けが話題になりますね。
『淋しい熱帯魚』などでも使われた「淋しい」は、「寂しい」と同じ意味で使われる漢字ですが、国が定める常用漢字では「寂しい」と書き、「さびしい」と読みます。

 

【参考資料】
・『孤独病 寂しい日本人の正体』 片田珠美 集英社新書 2015年
・『寂しさの力』 中森明夫 新潮新書 2015年

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